3.11 道長追悼文 菩提道交会 趣意書

3・11の東日本大震災の悲しみを発心として菩提道交会が生まれました。

天城に安置してある達磨大師を上求菩提 ( 自己の救済を望まず ) の象徴とし、その背後に掛けてある幡(ばん)を下化衆生 ( すべての救済を信じる )の象徴と考えております。

またその幡の中には、菩提樹の枝にとまる青いオウム鳥が染め抜かれてあります。

実はこのオウム鳥は、私が幡の作者に特別にお願いをして入れていただいたもので、上求菩提下化衆生の菩薩の精神が込められているのです。

佛教経典のなかに『ジャータカ物語』というお釈迦様の前世を説いた物語があります。その中で、お釈迦様が前世オウム鳥であった時の物語によりますと・・・。

平穏に過ぎてゆくとおもわれた世に、突如として大火が襲って参ります。オウム鳥の住む山々も瞬く間に紅蓮の火炎に包まれて行きました。 オウムは危険を察してすぐさま山から飛び立ち難を逃れましたが、未だ山の中には、多くの仲間たちが逃げ惑い、そして焼け死んでいきました。

オウムは上空から、そのありさまを目の当たりにして、悲しみに打ち震えました。

猶予はありません!

オウムは仲間を思う一心で、遠くにある溜め池に飛んで行きました。そしてその池に着くなり頭から真っ逆さまに飛び込んだかとおもうと、すぐさま山にとって返し、体に蓄えた水滴を持って山火事を消そうとしたのです・・・。 しかし、火の勢いは止みません。

それでもオウムは、必死に飛び続けました。

幾たびも、繰り返し羽ばたくのでした・・・。

次第、次第に意識が薄れてきても、渾身の力で飛び続けました。

やがて力尽き、火の中に落ちていってしまうのです。

悲しい物語です。

オウム鳥は落下しながらも、仲間達への思いは止みませんでした。

次の瞬間、オウム鳥の一念が 万象に通じ、はたして大山は鳴動して天に轟き、天地相伴って百雷を生じた!

オウム鳥の願いは、ついに豪雨となって、山々に降り注ぐのです。

私達の常識では計り知れません・・・。

小さな ー ー 、小さな小さな行為であっても真心は天地に感応するのです。それは、炭の倉に小粒の火種を置くが如くに。

たとえ微々たる力であっても真実ならば天地に広がり、感応道交していくのです。

このオウム鳥の真実とは、自己犠牲に裏打ちされた 無私の行為  ー “ 菩提心 ” ( 自未得度先度他 ・・・・・ 己れ未だ度らざる前に一切衆生を度さんと発願し営むなり ) なのです。

私は、この度の大震災の後、多くの被災者の中に、オウム鳥を見届けました。そして、いっぱい気づきをいただきました。

それにしても、なぜここまで人は変われるのか。しかも突発的に。

まだ、あるはずがないと思い、あってはならない大震災に人々は突如として遭遇 し、 茫然自失の中でなぜその “ 菩提心 ” がほとばしり出たのか!

アインシュタインの  「 ものの背後には深く隠された秘密がある 」 という ・・・

はたしてその秘密なのでは  !

私達人類は本当のこと真実と呼べるものを、今だ何も知ってはいません。

ただ2千年前に東洋の先人たちの出した答えは、『 全ての人間の心の奥底 には秘められた “ それ( 第九識 ) ” があり、“ 汝はそれなり ” 』 とした。

確かに、そうでなければこの現象をどのように説明できるのでしょう。

人類は平和時において、地球、自然界は人間のためにあるかのように自然破壊を繰り返し地球上を独占してまいりました。 その人間が未曽有の天災に打ちのめされれば当然のごとく、人間性も又崩壊していくと思われました。 しかし、その土壇場にあって東北の人々は勇敢にも現実を受け入れ、しかも “ 自己犠牲 ” という人間、 最高の尊厳をもって立ち上がったのです。

それはあたかも、人々のその深い “ 悲しみ ” と、 その一瞬の衝撃から心底の扉が開かれ、そこにオウム鳥が甦がえったが如くに。

人間の潜在能力は計り知れません。

ブッダは言いました 「 人間はなんと甘美なものか 」 と。たしかに 「 真実は美しい 」。 この東北の人々の姿を見て世界は 「 それは日本人の持つ特性である 」 と賞賛しました。

さらに 「 私たちは同じ人間として日本の人々を誇りに思う 」 とまで言わしめたのです。

うれしいです!  私も誇りたい!

しかし、日本人のみならず、あらゆる国や、人種、宗教を超えて、いつの時代にあっても等しく共感できるのは、自分の生命を賭して他を思いやる、この “ 自己犠牲 ” その姿なのです。

人々はその行為に出合った時、等しく涙し感動を覚える! その行為が人としての輝かしい最高の人格であり、 “ 汝はそれなり ” の証ではないでしょうか。

今回の大震災のこの悲しみと、渦中の人々の自己犠牲を私は決して忘れません。 私にも同じ苦しみを、と願わずにはおれません。

私は悲惨な人々の心の中にある “ それ ” を信じます!

『 ジャータカ物語 』 には、ブッダが今生に誕生する前の世では、谷底に飢えた虎の親子を見つけ、その親子を見過ごせず、ついには自ら谷に身を投じ自身を食させて虎の親子を救った話しもあります ( 捨身供養 )

大なり小なりこれらの自己犠牲は、 “ 潜在的な我がまま心 ( 第七識 ) を打ち抜いて同体の悲心   統一的生命体 ( 第九識 ) に入った菩薩 ”  の成せる業であります。

しかしそれも又、決して特別な才能ではなく、もともとの人間の本性であり、日常にあっては我が子に対する母の姿そのものなのです。

私たちは、

あらためて今回の震災から、東北の人々の行動から何を学ぶのか! 

多くの犠牲を無駄にしないためにも! 

今こそここに、一人一人が、無常なる天災の意味と、その後に垣間見る人間の真実を自分にすり込んで、そして分析し、これから自身の “ 生きる指針 ” としていこうではありませんか!

そして、それを忘れず実践し、人々と共感していこうではありませんか!

そういえば、阪神淡路大震災の折り、ある心理学者から意味深な提言がありました。 震災直後に起きた人々の現象として多くの被災者は自らの命の危険を省みず人々の救済に走った。この時期の人々を “ 原始的人間 ” と呼び、 次に人々は少し心に余裕ができて、 あたりを見回し、人々と共有できる同じ悲しみの中から運命共同体の使命感と、それまで経験したことがない、共に生きる喜びを見いだした。 この段階を “ 本能的人間 ” と呼ぶ。 そして、 被災者が一般社会に戻る為に、 早くこの二種の人格から脱皮して、 損得良し悪し等の分別ができる “ 理性的人間 ” と呼ぶ段階に戻るべきであると警告を発したのです。

たしかに、この三段階の人格を良き洞察力で見抜いたと思います。 しかし、もし人間の理想が、心理学者のいう理性的人間であるとするならば、それでは元の木阿弥、本末転倒ではないでしょうか。

それを戒める教えがあります。

50匹の猿がいました。 そしてその群れの中で49匹が片目であったが、1匹だけが両目が開いていたという。 しかしその1匹の猿は自分の身を恥じて片目を潰したという。 この教えは猿の愚行を戒め、あらためて人間に示した教えです。

私たちは時代や環境の変化に振り回されることなく、 いつでも、どこでも、 変わることのない真実を目指そうではありませんか!

震災後、 生きて帰れないかもしれない福島原発に向かった東京ハイパーレスキュー隊の隊長は 「 みんなの志気は非常に高かった! ただ残された隊員の家族を考えると申し訳なさでいっぱいでした 」 と涙ながらに語っていました。

そして隊員の一人は無事に帰れないかも知れない任務を、妻に伝えたところ、その返信のメールには 「 日本の救世主になって下さい!」 とあったそうです。

日本中が 感動に震えた !

人生とは、損得良し悪しではなく、人間的なその生き様が問われたい。私たちは、もっともっと深層心に向かって人間としての人格を問わねばなりません。 何でもかんでも人間社会に迎合できれば良いというものではありません。 その為にも今一度、自然界の秩序と法則にもとづき真理を極めた 東洋の叡智、 そこに至るまでの道筋を分析し修めていかねばなりません。

その叡智とは 「 万法帰一、 真実を明らかにする為には、 帰れ!」 ということなのです。

物質も精神も共に表層の矛盾から深層の世界、統一に帰らねばなりません。 アインシュタインは、「 物の背後には、深く隠された秘密がある 」、「 真実は “ 単純にして美しい ” 」 という。 心理学者の云う 「 原始的人間 、 本能的人間  」 そこにこそ帰らねばならない道理があるのです。

勿論、 段階を踏んで徐々に、容易なことではありませんが。

確かに、心理学者が言うのも一理あって、 被災された人々はいずれ理性的人間に戻るでしょう。 残念ながらオウム鳥の扉もまた閉じてその光を失うでしょう・・・。

突発的に開かれた扉は時間の経過と共に又閉じざるを得ないのです。

それでも私たちは、忘れません。

自身の心の奥底にその扉のあることを!

人間の真実は、その扉の中にあることを・・・。

修せざれば現れず、証せざれば得ることなし とは、” 修すれば現れる、証すれば得る ” という意味で、その道を修めようではありませんか! そして自身の内にあるオウム鳥の扉を自らの手で開いて、そういう者になろうではありませんか!

このオウム鳥の願い とその行為 は人間の理想が物語られてあり、 天地同根、万物一体の宇宙的人格が示されてあります。

私たちはそれを “ 菩薩 ” という名称で表現しているのです。

オウム鳥とは菩薩であり、その働きを菩提心と申し上げる。

 

道長 博永 拝上

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最後に、今回の震災で、東北の人々の行動に対して世界の人々はどれほどの感動と勇気をもらったか、それをとりあげた番組としてNHKから放映されたマイケル・サンデル教授の冒頭の言葉と、結びの言葉を紹介します。

こんばんは、マイケル・サンデルです。これは日本で起きた大震災と世界の反応をテーマにした特別講義です。この災害は人々にとって、世界にとってどんな問題を投げかけているのか。人間の倫理や価値観について、グローバルな意味合いについて皆さんと話し合っていきたいと思います。

まず最初に今回の震災で被災された日本の皆様に深い哀悼の意を捧げたいと思います。

今でも非常に多くの方が勇敢に原発事故の拡大を食い止めるために、そして復興に向けて力を振り絞っています。私はそうした日本の国民の皆様に心からのエールを送りたい。そして今回の講義と議論が困難と向き合い、そして乗り越えようとしている日本の皆様の希望と再生へのなにかしらのきっかけとなればと願っています。

私たちは当初この番組を簡単には答えを出せない難しい倫理や、哲学的な課題、ジレンマを扱うシリーズとして着想しました。究極の選択と題し、社会や人間が直面する問題を国境や文化の違いを越えてみんなで論理的に考え、人間社会がどのように進歩することができるかを考える試みとして準備を進めていました。

しかし、今回日本でこのような災害が起こったことで究極の選択第一回を特別講義に変更しました。

この震災が世界にとってそして倫理や人間性の問題を考えるにあたってどういう意味をもつのか語り合いたいと思ったのです。

さあ、始めよう。震災直後の日本人の行動を海外の人々はどう受け止めただろうか?まったく強盗が起こらなかった。便乗値上げもなかった。

アメリカのハリケーン、カトリーナの災害の時に見られたそうした現象が日本ではまったく起こらなかった。

この事実は外国人ジャーナリストの間で、多くの感動を呼び起こしました。たとえばこれはニューヨークタイムズの記事ですが、『日本での混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しての冷静さと自己犠牲、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ』こう書かれている。

こうした日本人の反応について誰か感想を語ってくれる人はいないか?

~中略~

以下、結びの言葉。

参加してくれた東京、ボストン、上海のみんなに感謝したい。本当に目を見張るような議論を展開してくれた。今回の危機から、人間はなにを学ぶことができるのか語り合った。

価値観や倫理、私たちはどう生きるかという問題について思い出してほしい。

私たちは震災の時の日本の人々の素晴らしい対応からまず議論を始めた。彼らは非常時でも礼節を重んじ、冷静で、自己犠牲の精神に溢れ行動した。

その姿に驚き、そして誇りに思ったという意見がきかれた。そこから私たちはコミュニティの意識について考えを深めることができた。日本に向けて、世界中の国々から差しのべられた支援の手。そうした中には過去に日本との間に緊張関係のあった国も含まれていた。経済的に非常に貧しい国々からも支援があった。これはなにを示しているのだろうか? もしかすると、今回の危機に対するグローバルな反応や支援の広がりは、コミュニティの意味や、その境界線が変わりつつある、広がりつつあることを示しているのではないだろうか。これはその兆しなのではないだろうか。より拡大したコミュニティ意識、そこに向けた始まりなのかもしれない。

家族や地域との繋がり、我々を束ねているより小さなコミュニティ独自のアイデンティティというものがある。これは私たちが共に生き、お互いを思いやる上で重要な要素であるということは指摘してくれたとおりだ。

しかし今回、多くの人々が感じてくれたことがあった。それは上海でもボストンでも東京でも意見が上がったが、最後にローラが上手く表現してくれた。つまり地球の反対側にいたとしても、日本の人々の冷静で勇敢な対応には強い共感を覚えることができたということ。日本の人々の痛み、苦しみを私たちは分かち合うことができる。それだけではなく日本人が見せてくれた素晴らしい人間性や功績を、まるで自分のことのように誇りに思うことができるということだ。

議論の中では意見の不一致もあった。しかし今回の災害を世界がどう受け止めたのか、どんな意味を持つのか、それを理解しようと力を尽くしてきた。私の願いは、国境を越えて交わした今日の議論が、たとえささやかでも日本のみなさんの励みとなることです。日本の人々が行動で表した美徳や精神を、人間にとって、そして世界にとって大きな意味を持ったということ。それが再生、復活、希望につながるプロセスの一部になればと思います。

今後日本のみなさん、そして善意をもって支援をしようという世界中の人々が、この議論の中に何かを見出してくれればと願います。参加してくれたみんな、どうもありがとう。