ものの背後 … 多様の中の単一 …

     

  山口博永 道長

ものの背後には深く隠された秘密がある真実は単純にして美しい …    ( アインシュタイン )

アインシュタインが自然界を観察し、その真相を予言 した言葉です。

それが現代において、実験装置の開発と共に実証 されつつあります。

大事な事は、この予言は迷信ではなかったという事です…!

ところで、直感したアインシュタインは確かに偉大でありますが、それよりも現代の私達の日常を省みて、見過ごしてはならない重大なメッセージがこの言葉に提示されております。

人類が幸せを求めて築いてきた文明が、情報と物質の氾濫した社会を生み出しました。

その結果現代病と言われるストレスからくる病が蔓延し、必然的に人間としての尊厳も失われました!

この本末転倒な社会にあって、アインシュタインのこの啓示は、私達人類のこれからの生きる指針とならなければならないのではないでしょうか。

 

それにしても、ものの背後とは…!

 

これをどのよぅに理解すれば良いのでしょう…。

私たちの自然界は確かに美しく素晴らしいものです。

しかし時には牙を剥いて我々人類に襲いかかるのもまた自然です…

その悲惨な現実をみれば、結局私達の思い通りにならない!

それが自然であり、それは無秩序で混沌としたものではないのでしょうか … !

それをアインシュタインはどのように観察して秩序ある美しい世界であると言うのでしょう…。

 

そもそも背後とは、その秘密とは何なのか…!

それは、私達の想像もつかない何か意志のようなものが背後で働いているというのでしょうか…。 もしこれを知ったら、この現代文明がどの様に変われるのでしょう。

アインシュタイン、曰わく! 真実は単純にして美しい ……。

確かに人間は複雑を嫌います。 :一つ: があって、その一つが人間の生きる全てを満足させるならば、その一つこそ人類最高の理想であるはずでしょう …

その証拠に人は名利、(権力、金)を求めます…

それでもそれらは、不安定で満足出来るものではない事を私達は承知しております。

 

しかし今はそれに取って代わるものがない…

そこで本当に信頼に値する :全一: なるもの、それを人類が獲得出来れば、人は安らぎ、全てが安心できるはずです。

全一 なるもの、それは有るのか …

:単純にして美しい: それは如何なるものなのか …!!

…想いは尽きない。

 

私達を包み込み…無限に広がるこの宇宙!

…太古の昔、自然界は現代とは比較にならないほど、ダイナミックな開展であった事が想像できます。

未だ科学的知識も無いその時代の人々は予測を超えた自然の運行に畏敬の念を覚え、これを受け入れ、問い続けたことでしょう…

…これは何!なぜ!と…

…人類にとっても、この厳しい現実を解明できなければ人間の尊厳は保たれず、安心した生活はできなかったはずです……!

 

そこで東洋の先人達も、いつの時代にあってもこの世界の真相を懸命に追求し探求して参りました。

その結果、多くの解答が得られ、時代と共に洗練され、深められていきました。

今から三千年の昔には、ついに納得出来る原理に到達したのです…。

… 不可分にして永劫不変なる解答が得られたのです。

それはこうです。

《すべては、完成され、永遠に安らいでいる》

というものでした、人類にとって最高の理想が得られたわけです… !

…奇しくも近代の科学者アインシュタインの…『ものの背後に真実がある』… というその言葉によってよみがえったのです…。

 

それにしても東洋の哲理のその内容は、現代科学の想像をはるかに絶する深遠なる内容で説き尽くされています。

…これに対して近代科学者は正直驚きを隠し得ない!

何故ならば科学は迷信を打破する事を使命として、進歩発展してきたはずなのに、その科学が、ようやくにして辿り着いたのが、東洋神秘主義と、あたかも迷信の権化のごとくに扱われてきたそれであったのです。

しかも科学者達は自らの手でその扉を開くことになるのです………。

そして言います…

その中に分け入れば入るほど、東洋の:原理:が科学のそれよりも、もっと直接的であり、実際的に迫って来る!…と

 

当然のことながら、この原理は考えて行き着いたものではなく、精神統一という実践の法をもとにして解明されているからです…。

それ故に又、すべての人々が同じ実践の道を歩みさえすれば、等しくそれが体現出来るはずです。

それが今日まで我々に伝承されているものなのです。

… 剣道、柔道、茶道、華道、の :道:の名の真意はここに有ります。

この道を通じて誰でも、理と実践の:法:を誤らなければ、全ての人は同じ目標に到達するというものです…。

 

先人が教えることは… 私達の日常は、表面的に見れば、物に囲まれた世界であり、日々目の前の出来事に執らわれております… というものです。

しかしその内要を良く理解すると、その成り立ちは相対的な関係によるものであり、私達の日常はその二力の作用にしっかり縛られていることに気づかされます。

人は 束縛は嫌いです…!

 

そこで人々は、損得や、善し悪しを分別し、どちらか一方を執って楽になろうと努力をします…。その思いは決して悪い事ではありません。

しかし、その考え方と手段に誤りがあります。

… それは、外部のものを利己的に分別し、どちらか一方を選り好みすることで、陰陽二力の法則に反してしまうからです。

実は陰陽は別物ではなく切り離せない一対のもの、 ” 一つの働きの異なった姿 ” なのです。

それ故に、:求不得苦: … 一方のみを求めても得られないということになります。

これが陰陽二力の:魔力:で、この魔力から逃れる事は容易では有りません。

そこでこの二力の作用を調える理法を学ばねばなりません。

それを:道を歩む:というのです。

 

その要は、『外部に目を向けずに自分自身の内を観ることに有る(自分を学ぶ)』 ということで、内観しなさいというのです。

そしてその:道:の理解を深めるには、理の分析と実践を通じて先人達が歩んだ足跡をたどる事が重要なのです。

(太極道交会 会報 第13号 より転載 )