妙好人(みょうこうにん)

 私が出家をする少し前に、一人の老人が寺に救いを求めて来ておられました。名前を米山庸助といい、70歳を過ぎておられたでしょうか・・・。

いつも朝夕熱心に御本尊に御参りをしておられました。私の部屋は御本尊の右横にありましたのでお参りの様子は手に取るように分かります。

それにしても何があったのかは知りませんが、いつもそのお参りの姿には驚かされます。頭を畳にこすりつけ、「お助け下さいーっ!お助け下さ~~~い!」と、泣き叫びながら本尊にすがる様子は、哀れを超して凄みが漂っておりました。

私はその姿を見ながら側にも寄れず、静かに見守るだけでした・・・。

寺の人達は皆何かを知っていてか、いつも米山さんを気遣い、「爺~ャ、爺~ャ」と優しく声をかけていたのが印象的でした。

それにしても私がその爺ャの境遇を知りたくても誰も語ろうとはせず、それどころか、それに触れること事態が禁止されているかのようでした。

米山爺ャの毎日の仕事は境内の掃除と畑仕事が主でありましたが、私が寺に入ってからは特に畑だけに精をだす毎日でした。

爺ャは耳が遠く、師匠さまや寺のお母さんが何かを伝える際には決まって爺ャの耳を引っ張りながら、耳元で「爺ャ~あのなぁー」と大きな声で話しかけておられました。

私はいつもそれを可笑しく見ていたのですが、いつの間にか私もまた親しみを込めて、米山爺ャの耳を引っ張り出しながら、話をするのが習慣となっていました。

寺の中では爺ャの境遇について本人の為にも触れないほうが良いという雰囲気が漂っていましたが、私自身毎日爺ャのお参りの様子をうかがいながら、その尋常でない姿にどうしてもその理由を知りたくて、それが心残りで日増しに知りたい思いが強まっていきました。

そして、ついにその日がやって来るのです。

その日は珍しく寺に私と爺ャ2人きりとという気安さもあって、作業が終わった頃を見計らって、この時とばかりに私はやっぱり爺ャの耳を引っ張り出しながら、ついに聞いてしまいました。

「あのなぁー、爺ャはここに来る前に何か辛い事いっぱいあったんか~~?うん!?せやけどなぁ、もし言いとうなかったら言わんでもええねんで~」と、遠慮がちに聞いてみると、予想に反して爺ャは突然スットンキョな声を張り上げ、興奮気味に「ハッ!ハァァァ~ッ!・・・、よ~~~ぅ聞いてくれはったー博永はんっ、ワシなぁ~~~!!」と、またまた例のかん高い泣き声で私の手を握りしめ、そして話をしてくれました。

その内容とは確かに、何の因果か悲惨な境遇でした。

爺ャは「自分自身の苦しみやったらなぁ!なんぼでも耐えられる・・・、せやけどなぁ博永はん、孫があんまりにもかわいそうやで~~~!!」と、目にいっぱい涙を溜めて私に訴え続けました。

それは10年も前からの話しで、爺ャの娘に養子を貰い二人の孫ができました。

しかしその実の娘が二人目の産後の無理が祟って亡くなります。

その後、幼子の子育ての為にやむを得ず、養子に嫁を貰うのですが、この嫁にもまた二人の子供がいて、最初は7人で仲良く暮らしていたのですが、半年後、今度は孫のお父さんである養子が亡くなります。

そして嫁いで来た嫁に働き手である養子を貰う事になるのですが、そこから次第に爺ャの孫二人が継子虐めにあっていくというのです。

爺ャはそれを目の当たりにしながら、もう何も言えない立場になっていました。

例えば、食事の時も爺ャの孫二人は畳の上にもあげてもらえず、下の土間にムシロを敷いて座わらされ、そこで食事をするのです。孫はおかわりを欲しがっても貰えず、爺ャが「もうちょっと食べさせてやって」とお願いしても聞き入れてはくれません。爺ャは孫がかわいそうで、ただただご飯茶碗で顔を隠すようにして泣き耐えていたそうで、そういった出来事を次々と聞かされながら、私はそうであったのか、と納得したものの、何もしてあげられず、ただ聞きながら慰め続けるだけでした。

それと共に寺の皆さんの爺ャに対する気遣いにも納得させられました。

その後も爺ャの境遇は変わる術もなく、鬼気迫るお参りは続いておりました。

そして1年が過ぎたであろうか、真冬の真っ白に霜の降りた寒い朝、私は寺の朝食の準備が出来た合図である拍子木を、いつものように打ちならしながら寺の皆さんが集まるのを待ちました。

しかし、その日に限ってなかなか爺ャが現れません・・・、みんなが不審に思い、そこで私が探しに行く事になりました。

まずはいつもいそうな場所をあちこちと探しても見当たらず、まさかと思いながら門の外に出てみると、なんと遠くお墓の中にその姿を見つける事が出来ました。

あたりはまだ薄暗く寒い・・・、雪のように白く積もった霜の中で爺ャはなにをしているのか、 想像もつかず私はブツブツ言いながら近づいてみると、なんと爺ャは鍬をふるって草取りをしているではありませんか。

「なんで!?こんなに朝早く、しかもまだ草も見づらい薄明かりの中で」私は呆れてしまい、さらに近づいてから語気を強めて「爺ーャ~~!なにしてんの!朝ご飯やで~~~!!寒いやろうに早よ来~や~ッ」と両手でご飯を食べる仕草をしながら言っても反応が鈍い、こちらを横目にチラッと見たにもかかわらず又下を向いて、しかも以前にも増して一生懸命に鍬を振るうのでありました。

「オカシイ~な~~、何怒ってんのやろう」と益々不審に思って、すぐそばまで近づいてみると、どうした事か爺ャは満面に笑みを浮かべ、初めから私が来るのを待っていたようで突然例のかん高い声を張り上げ、「不思議や~、不思議なんや博永はんッ!ーほんまに不思議なんやでー!ワシなあ~~、ワシ救われたわ~、博永はんワシほんまに救われましたんやーッ、うれしいわぁッー!どないしたんやろ・・・、何やろかこれ!?」と声を弾ませました。

私は「えっ、何言うてんの・・・、どういうふうに救われたというんや~」とぶっきらぼうに答えると、爺ャは持っていた鍬を手放し震える手を自分の胸に当てて「なんでか分からへんねん!博永はん、あのなぁー!朝起きたらなぁっ、突然お腹の底から喜びが込み上げてきて止められへんのんや!なんやろーこれ、何っ!!、不思議やわ~!!こんなん初めてやー、ワシ救われたんやろか!?ーほんまに救われたんやろか!?、博永はん!!」というなり震える手で自分の胸元を強く握りしめました。

妙好人の誕生であった。

私もただ事ではない雰囲気に圧倒されましたがしかし、それが何を意味するのか飲み込めず、いったんその場を収めるつもりで爺ャに「それは良かったなぁ~そうか!せやけどな、朝ご飯でみんなが待っているから、早よ行こう~」と促して先に歩き出しました。

爺ャも「おおきに、おおきに」と言いながら私の後ろについてきましが、歩きながらも「不思議や~、ワシやっぱり救われたんやわ~、間違いない!ほんまに救われたわ~、有り難いこっちゃ!御本尊さま有難う御座います・・・、救ってくださって有難うございます!」と合掌し、山門をくぐっても独り言を言いながら全身に喜びを表しておりました。

確かに見た!

苦よりの解脱!

勿論それから後の、爺ャの朝夕のお参りの様子は一変して、御本尊さまに「ありがとうございますー、ありがとうございますー、お救いくださって本当にありがとうございました~~!御本尊さまありがとうございましす~~!」と、声こそあのかん高い声でありましたが、その姿は喜びに満ち溢れ、自信が窺えました。

又、その日を境に寺にお参りに来る檀家さん達も爺ャの変わりように驚いて「どうしたんや?」と聞くと、爺ャは待ってましたとばかりに全身に悦びを現して「わしなぁ救われましたんや~、ほんまやでー!嬉しいわー、なんでか分からへんけどなぁ、嬉して、嬉してなぁ、腹の底から悦びが込み上げてくんねん!なんでやろなぁー、おおきに、おおきに~~!」と応える日々でした。

その後爺ャはお参りの人達に“十の数え歌”を作りました。その中に「六つとャ~、無理な願いで救われるよりも、己が心で救われよう~」と歌いました。

それを我が師匠さまが知って「深い悟りである」と私に諭し喜んでおられた。

・・・

『妙好人』のその定義は“自らは何の教義を知らなくても、悟りを開いた後は、聖人が説く深淵なる教義を自分の事実として自分の言葉で説ける人”とでも訳せば良いのでしょうか。

幸いなるかな、私は米山爺ャと3年間生活を共にし、爺ャが妙好人になるまでの一部始終を目の当たりにしたのです。

私が米山爺ャを見て思うに、人が妙好人になるためには三つの条件が必要だと考えられます。

確かにそれが揃えば誰でも妙好人となる可能性があるという事です。

その三つとは、

一つ“深い信心”

二つ“今、ここ・・・、に打ち込む無私の行為”

そしてこの二つの原動力となるのが三つ目の逃げられない耐え難き苦痛、“悲しみ”なのです。

爺ャは、苦しい時の神頼みで、苦悩を神仏にぶっつけていったのです。

苦の初めには自分の運命を恨んだことでしょう。又理不尽な結果に、それに関わる人たちを憎んだでしょう。そして自身の内面に怒りと愚痴の風が吹き荒れて、悲惨な日々が続いたことでしょう。

ついには、神も仏も有るものか!!、・・・と神仏さえも恨んだかも知れません。

よく理解できます!

勿論それで苦しみが消えるわけではありません、どんなにもがいても、もがいてもその苦痛から逃れることはできません。

それでも、その苦の持って行き場、逃げ場がなく、神仏にしがみついていったのです。

それが良かった!

そしていつしか自身の心を開いたのです。爺ャは“頑張り”から力尽き・・・、その悲しみから自分の心を開き、自分の姿を見たのです・・・。更に、手に負えない苦悩が 悲しみの涙となって“頑張りをあきらめさせる”のです。

その“涙”から我慢の崩壊が始まりました。

しかし、あきらめの心境から爺ャはある意味強くなりました。

あきらめの心は、爺ャを幼子のように純粋にしたのです(身も心も放ち忘れる)そこから微かな“甘え”を得たのです。

神仏への“甘え”は邪心のない世界に入らしめるのです。

爺ャはその時“私ほど深い罪人はいない”という確信を得て一切に謝ったのです。これが懺悔です。

爺ャ自身が「無理な願いで救われるよりも、己が心で救われよう」というように、深く自身の過去を内省し、「全ての罪や苦しみは、全部自分の性である」と、気づかされたのです・・・。

それが、神仏に対する甘え(一体)であり、絶対世界に自身の全てをゆだねきった証しです!

そして懺悔の力は、日常の労働を通じて今ここに打ち込ませ、妄想分別を打破していくのです。(無私の行為)

それでも時として噴出する怒りや愚痴は止まなかったでしょう。しかしその耐え難い苦痛を、“即”懺悔の力に転じた。それは、仏に没入し甘え、純粋な心でエゴ性を逐一放棄していったのです。

爺ャの祈りには怒りがありましたが、それが徐々に己が涙に変化していきました。爺ャは深く懺悔し己を捨てなくてはおれなかったのでしょう。そして我慢を捨てきっていくと同時に、安らぎに包まれていくことを知ったのです。

『打撃、衝撃は自己を学ぶ暗示なり』

爺ャはこれを実行した人であることが、今、私にはよくわかります。

ありがとう、米山爺ャ~!