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スワーミー・ヴィヴェーカーナンダと私

 

  1. . 出家

 

一歳この世はすべて条件つきのものなのか…

 

はたして無条件にして成るものは無いのか…

 

戦後の荒廃した社会に生まれ育った私の心の中に、いつしか芽生えた一つの疑念、それが物心のつくころには内なる叫びとなっておりました。

 

苦と楽、善と悪、どちらに転んでも大丈夫な世界は無いのか!… と。

ある日の早朝、石油ストーブの丸くかたどった網の目の燃え盛る火を眺めていたとき … 心の中に思いもよらない声がしたー 《 出家するのかなぁ … 》 と、その瞬間腹の底から込み上げてくるものがあった。

初めは静かに、それがだんだんと大きくなって胸元ではじけた… 歓喜だ!ー しかし何が嬉しいのか分からない… 悦ぶ対象が無い… えっ!と、我にかえると、どうしたことか私は既に出家を決心しているではありませんか… この気分は!? いったい誰が注入したというのでしょう … その後も歓喜は止まず何が嬉しいのかその対象が見つからないままに、時が過ぎていく…。

 

得度式1966年4月5日 私は禅門に出家を致しました。

 

2. 著書 生きる秘訣 との出会い

 

それから半年が過ぎたある日のこと、1人の青年僧が全国行脚の途中に私の寺に立ち寄りました。

見ると私が理想とする雲水 ( 修行僧 ) の出で立ち。

托鉢 慶田寺

まだまだ新米の私は嬉しくなって、さっそく修行のあり方について詳しくお尋ね申し上げました。

すると、その人は私に “ これを読みなさい ” と言って、一冊の本を手渡した。

私は恭しくその本を手に取って、丁寧に開いてみて驚いた…

何とそこには、得体の知れない外国人の写真があるではありませんかー

いささかうさん臭くなって 「 私は禅門以外のものは読みません!」 と言って、突っ返してしまいました。

ところが何と、それから二十年の後にもう一度その本と出会うことになるのです。

ある日の朝、誰が置いたのか偶然に書棚から落ちてきた一冊の本を開いてみて驚いた ー そこに書かれている内容の背後の動機までもが分かる、その著者の息づかいまでもが伝わってくるではありませんか!

それどころか、あからさまに私に向かって来るのです・・・ ・・・

堰を切ったように私を説得するのですー

 

何なのか!!

 

“ 生きているこの本は… ”

 

あまりの衝撃に、そのままその場に座り込み、それから夕刻まで、感涙にむせびながらぶっ通しで読むことになるとは…

その著書の人物こそインド僧 ー スワーミー ・ ヴィヴェーカーナンダその人でありました。

 

あまりの感動に思いは止まず、私の主催する禅会に、ヴィヴェーカーナンダの勉強会を取り入れました。

 

それから数年して、久しぶりに会った兄弟子に、” 凄い本を見つけましたから、あなたもぜひ読んでみて下さい ” と言って押しつけた。

すると彼は、その本に目をやって曰わく 「 えっ!この本はもうずっと前に、そうあなたと最初に会った頃に、私があなたに渡そうとした本ですよ 。

そういえば、あなたはあの時、頑なに ”外道ものは読みません!” とか何とか訳の解らないことを言って受け取らなかったではありませんかー そうですあの時の本です。あなたは覚えてないのですか?」

私は、兄弟子のこの言葉を聞いて本当に驚いた。あまりの宿命的な運命に鳥肌の立つ思いであった。

それでいて、なぜか深い因縁を頂いていることに安らぎを覚えて嬉しかった。

3. 仏陀とヴィヴェーカーナンダ

仏の道に出家をした私にとって、ヴィヴェーカーナンダの仏陀に対する、その新鮮な情熱に正直圧倒されました!

ヴィヴェーカーナンダはおっしゃいます。

《 仏陀は一人の弟子が泣いているのを見ると、叱って言われました。こんなに嘆き悲しむとは一体何ですか?これが私の教えの結果ですか? 誤った絆があってはなりません ?!

私に寄りかかるのをやめなさい。

この消え去っていく個体を誤って栄光化してはなりません。仏陀とは一人の人間ではないのですー “ 仏陀は悟りです! ” 自分自身の救済を行じなさい。》 ー と。

そして、ヴィヴェーカーナンダは仏陀をご自分に摺りこんでおっしゃる… 《 死に行く時ですら仏陀はご自分の特別なこと、卓越していることは主張なさいませんでした!私はこれがために仏陀を崇拝します 》 と。

更につづけて 《 世界の師の中で仏陀こそ我々が自立するように教え、誤った自我という認識の絆から解き放ったばかりでなく、目に見えない神と呼ばれる存在からも解き放ってくれました。 仏陀はすべての人が彼の呼ぶところのニルヴァーナという ” 自由な世界に目覚める平等の権利を有している ” と宣言されました。

そしてすべての人がいつかその絶対自由の状態を達成しなければなりません。

“ そのニルヴァーナ、涅槃への到達が人間の完成なのです ” 》 と!

 

何と云う説得力、何と云う聡明な力強さ!

ヴィヴェーカーナンダのお言葉は、目の前に仏陀を等身大に見すえておられるようです…

それは、仏陀にたいするヴィヴェーカーナンダの深い心情的な憧れ、霊的な直観をもって仏陀を感じておられる証であり、それこそ、ヴィヴェーカーナンダのお悟りでもあったのです。

私は、このヴィヴェーカーナンダのお言葉を聞いて、こたえました!

全身全霊が揺さぶられて身震いがする…!

確かに仏陀のこの御教えは、我々禅を修する者の発心であります!

しかし、これほどまでに仏陀を肌身で感じるお言葉は聞いた事が無い。

仏陀の御教えがヴィヴェーカーナンダの心の内を通ると、これほどまでに身直な説得力を持つものなのか!

ヴィヴェーカーナンダはおっしゃったー 《 仏陀は死に行く時ですらご自分の特別なことを主張なさいませんでした! 私はこれがために仏陀を崇拝します… 》 とーこのお言葉!! 私はこれがためにヴィヴェーカーナンダを崇拝します!!…

確かにー 仏陀の御教えは尊いー だからこそ私は出家をしたのです。

 

 

4. 汝はそれなり

 

“ 天上天下 唯我独尊 ”

私が一番欲しかった御教えー どちらに転んでも大丈夫な世界は、ここにありました!

そして、ヴィヴェーカーナンダの次のお言葉 ―

 

≪ 私は改革を信じない 霊性の向上を信じるー ≫

 

≪ 本当の宗教とは 自分の内に永久なるものは無いのかと問いかけて、自らの中にその回答をもって終わる。≫

 

私の疑念に対する完璧なおこたえであります。

 

更に、ヴィヴェーカーナンダは仏陀の御教えを 《 人々の内にはすでに完成された 仏性 が ある ということであり、それは他から与えられたり、また取られたり出来るものではない。

元来 “ あなたは それである ” それ以外の何者でもないといい、自らがその仏性の純粋な真実に到達したとき、その人は、その瞬間から仏陀となり永遠の自由と平等を 獲得するというものです !!このお示しには、 私たち人類の 永劫の安らぎが保証されているのです 》 ー と…

素晴らしい!

ヴィヴェーカーナンダ ー 私はあなたを受け入れます。

 

5. ヴィヴェーカーナンダの御加護

 

ヴィヴェーカーナンダと私のこの出会いはいったいどういうご縁であるのでしょう。

 

後に知るのですが、ヴィヴェーカーナンダは 亡くなるその日に、3つの願を立てられたという。

 

とりわけその一つに

“ 私は日本のために何かをしたい ” という言葉があったという…

確かに、私のこれまでの歩みを振りかえってみるとき、仏道の縁には必ず、スワーミー、ヴィヴェーカーナンダの多大な御加護のあった事を認めざるを得ません。

 

そう! もう一つそのことに関連して、ヴィヴェーカーナンダの御加護による出会いがあったことも記しておかねばなりません。

それは 、ヴィヴェーカーナンダの説くヴェーダーンタ ( 不二一元論 ) は禅に入ったと私は理解しましたが、その教義は唯識論的であることから、ある時新宿の書店に立ち寄って、唯識本を探しました。 すると、そこにひときわ目立つ本があって、それを手にしてみると著者は立教大の教授で唯識の大家であられる横山教授でした。

開いてみると、その内容は実践的唯識観が問われていて嬉しくなった私は、今度は直接教授に会ってみたいという衝動に駆られました。

しかし、会う手立てが見つからず、どうしたものかと思案しておりましたところ、一週間もしないうちになんと向こうからやってきたではありませんか。

それは、私の知り合いの漢方医の方から名古屋托鉢の案内が来ていて、その案内書をよく見るとなんと主催は横山教授では有りませんか!!

これまた不思議なお導きで、さっそく托鉢行に参加したことは云うまでもありません。

この托鉢の出会いから教授と親しくなって、その後二十数年間、今日まで二人三脚の歩みをお願いしております。

実はこのご縁には、更に驚くべき秘密が隠されていたのです。… その秘密とは ?

横山教授は東京大学で 自然科学を学び、水産学科で魚の血液を研究しておられました。

そして、その研究の成果から生命の神秘に触れられました。さらに教授は客観的な生命観にあきたらず、御自分をも含めた命の世界に興味を持たれて、後に子供の頃に抱かれた疑問を再認識されました。

その疑問とは ?

これはいったい何か!

自分とは何か!ー という本質的な問題意識であったようです。

そして、ここにきてもう一度子供のころからの疑問に真剣に取り組む決心をされたとのことです。

それから、ある日のこと 図書室の書棚から何気なく取り出された一冊の本がきっかけで、教授の運命は変わることになるのです。

その本に触発された教授は自然科学科からインド哲学科に編入されて、唯識を専攻されることになるのです。

実はその本とは ? またまた! ヴィヴェーカーナンダです。

ヴィヴェーカーナンダのヴェーダーンタ哲学入門であったのです。

これらの出来事は偶然にしてはあまりにも出来すぎで、 … 確かに何かの “ 意志が働いている!” 果たして ヴィヴェーカーナンダ、あなたは今も活動しておられるというのでしょうか! そして今日も多くの志しのある人々を鼓舞しておられるというのでしょうか ?

 

そういえば、ヴィヴェーカーナンダは死を前にして “ 私は体を持つのは不自由だ! 体を放棄して働く ” とおっしゃったと言います。

そして、“ 日本のために何かを… ” と。

 

6.菩提心

 

ヴィヴェーカーナンダはおっしゃいました 《 ニルヴァーナ、涅槃への到達が人間の完成なのです 》 と…

しかし、ヴィヴェーカーナンダ、あなたは、そのニルヴァーナ、涅槃には住せず ( 無住処涅槃 ) 一切衆生救済の為に生死を超越して働いておられるのですか?!

あなたこそ、正に大乗の菩薩さまです。

今までヴィヴェーカーナンダとの御因縁を述べさせて頂きましたが、私は今静かに思うところがあります。

先にも触れましたように、私にとってヴィヴェーカーナンダの御教えは禅( 不二一元論 )であり、禅の更に拡大的、進歩的な教えであるヴェーダーンタの四つの道を学ばせて頂きました。特にバクティ・ヨーガ、を修めさせて頂いた事には、深く深く感謝の意を表します。

 

それと共にヴィヴェーカーナンダの道心である

“ 私は一人の真実の人間をそだてるためなら千回でも地獄に行く! ”

“ 自分の救いなどという考えを捨てて、他者の善のために働く用意のあるものは、私が彼のしもべであるとわかってくれる! ”

素晴らしいお言葉です。

菩薩 … この言葉を私は教義的に知っており、私の最高理想でもありますが、生生世世 ( 生まれ変わり、生き変わり今生より生生を尽くして・・・ )の実感は有りませんでした。

しかし、ヴィヴェーカーナンダ、あなたはそれを、実行し、実感させてくださいました。今、当に私はその事実に触れさせて頂いております。

私はあなたを信じて疑いません …

岡倉天心はヴィヴェーカーナンダの事を “ 師は大乗をもって小乗に先んずるものと論じ …云々 ”

“ 思うにヴィヴェーカーナンダの不二法門は全然大乗ならん…云々 ” と

岡倉天心も、大乗に精通しておられたのか、・・・ ・・・ よくぞ言って下された!

そうなのです ― 日本には大乗精神がしっかりと根づいております。

 

それ故にヴィヴェーカーナンダは “ 日本の為に何かをしたい ” と言って下さったものと信じております。

菩提心 “ 己れ未だ渡らず前に一切衆生を渡さんと発願し営むなり ”

 

我ら “ 信決定( しんけつじょう ) ” して、大地の有情と共に成道するまで働きます。

有難うございます。 スワミ・ヴィヴェーカーナンダ

博永 九拝

スワミ・ヴィヴェーカーナンダ生誕150周年記念閉会式

2014年 5月 ヴェーダーンタ協会  不滅の言葉 特別号 に掲載